2020年8月より無事に移転を完了し、新事務所での業務を開始いたしました。
移転中は発送業務を休止させていただくなど、ご迷惑をおかけしましたが、ご協力いただき御礼申し上げます。
現在は店舗としての営業は行っておりません。
住所、電話番号は以下よりご確認ください。
http://blog.teshigoto.shop/access
なお、定休日を8月より月・火曜日に変更させていただきます。
オンラインショップの発送スケジュールが変わりますので、どうぞご了承ください。
2020年8月より無事に移転を完了し、新事務所での業務を開始いたしました。
移転中は発送業務を休止させていただくなど、ご迷惑をおかけしましたが、ご協力いただき御礼申し上げます。
現在は店舗としての営業は行っておりません。
住所、電話番号は以下よりご確認ください。
http://blog.teshigoto.shop/access
なお、定休日を8月より月・火曜日に変更させていただきます。
オンラインショップの発送スケジュールが変わりますので、どうぞご了承ください。
事務所の移転に伴い、7/21(火)〜29(水)は、
オンラインショップの出荷を休止させていただきます。
また、休止期間中のご注文は、7/30(木)以降順次発送いたします。
注文を多数いただいた場合などは、発送が遅れる場合もございます。
あらかじめご了承ください。
本日7月12日 18:00をもちまして、尾山台の実店舗の営業を終了いたしました。
営業休止をお知らせしてから1カ月足らずでしたが、
本当にたくさんのお客様にご来店いただきました。
多くのお客様が応援してくださっていたことを実感し、感謝の気持ちでいっぱいです。
同時に、慣れ親しんだお客様がたくさんいらっしゃる、
この尾山台を離れることを本当に寂しく思います。
この店を支援してくださったお客様、作り手の皆様、
全ての方に心より御礼を申し上げます。
「手しごと」は、日本の手仕事の素晴らしさを、より多くの人に知っていただくために、
手仕事フォーラム会員の皆さんの支援のもと、生まれたお店です。
店にはなるべく幅広い産地の品を置き、手仕事に接する機会が少ない人にも
興味を持っていただけるようなイベントを開催するなど、
様々なアプローチを試みました。
おかげで、地元の住民や、近くの病院に通院される方などにも、
よく覗いてくださる方が増えました。
しかし、店舗営業だけではなく、より多角的なアプローチで情報発信することが、
今の自分たちがやっていくべきことなのではと考えるようになりました。
その第一歩として、今年2月にはオンラインショップを立ち上げました。
店舗だけで物を紹介するのではなく、インターネットでより広く発信し、
同時に、物の魅力をより深く伝えるための取り組みです。
これからの仕事により適した場所、営業形態に切り替えることを考えてきましたが、
そこに今回のコロナが重なり、動くなら今、と判断するに至った次第です。
いずれ落ち着きましたら、展示会やイベントの活動を再開しますし、
もっと力を入れていきたいと考えています。
また、オンラインショップだけでなく、実物を見ていただけるような
機会・場所も設けたいと考えています。
もっとたくさんの方に、手仕事の素晴らしさを伝える体制を整えます。
それまでの「休止」です。
昨今頻発する自然災害をはじめ、様々な社会情勢の変化は、
日本の手仕事にも着実に影響を及ぼしつつあります。
この数年でも、作り手の高齢化などにより、多くの手仕事が失われました。
私たちは、長年培われてきた日本の優れた手仕事を次代に繋げるため、
留まることなく、前に進みます。
今後とも、どうぞよろしくお願いいたします。
手しごと 代表 久野民樹
前編はこちら→ふだん使いの“薩摩の白もん”のこと(1)
「ふだん使いの白もん」を新たに作り、
薩摩焼を人々の暮らしに寄り添う形で
未来へつなごうという久野恵一の思いに、
沈壽官窯当主の十五代沈壽官氏は応じます。
薩摩焼の歴史を背負ってきた沈壽官窯にとっても、
別の形の白もんを生み出すという取り組みは、
大きなチャレンジだったのではと思います。
久野恵一がこれまで各地で取り組んできた、
作り手の製作指導や、新作のプロデュースの経験を元に、
国内外・時代を問わず、様々なうつわを見本として持ち込みました。
沈壽官窯のロクロ職人・平嶺さんは、それらをもとに試作品作りに取り組みました。
例えば、この切立皿。
元々は同じ鹿児島の龍門司焼で作られていた皿が見本になっています。
▲左が「白もん」、右が見本となった龍門司焼の皿
飯碗は、大分の小鹿田焼が見本に。
いずれも突飛なものはなく、日本で長年使われてきた形であり、
毎日の食卓に馴染み、流行り廃りのない、まさに”ふだん使い”です。
また、新しいうつわ作りには、これまで沈壽官窯では用いられなかった
ハンドル(持ち手)作りが新たに導入されました。
沈壽官窯では、型を使って成形されたハンドルを
本体に後付けする手法を用いていましたが、
今回のうつわでは、よく水を含ませて伸ばした陶土を、
ロクロ成形後の本体に直接取り付ける手法(ウェットハンドルと呼ばれ、
バーナード・リーチが西洋の器作りの中で伝えた手法と同じ)を用いています。
この技術を伝えるために、小鹿田焼の陶工が招かれました。
試作品の製作は順調に進みましたが、久野恵一は志半ばで急逝。
残された平嶺さんと、新たに入った私(久野民樹)が
このプロジェクトを引き継ぎました。
今でこそ、このブログのような解説を書いていますが、
当初は二人とも、そもそも久野恵一の意図すらわかっていない中での出発で、
お互い色々議論したり、勉強をしながら。途中寄り道もしつつ。
時間はかかりましたが(十五代からお叱りを受けました笑)、
手仕事フォーラムの皆さんの後押しもあり、ようやく発表となりました。
平嶺さんの発案で、陶土には、沈壽官窯の通常の白もんを作る際に出る
屑土(ロクロ成形後の削りの工程で出る、いわゆる削りかす)を
再利用することになりました。
通常は不純物が混ざるため、全て捨てられます。
(ちなみに、他の陶器の産地では、多くの場合屑土は再利用されます)
さらに、釉薬を調整して、本来の白もんの白色よりも雑味を増して、
ロクロの成形は、通常よりもざっくりとした仕上がりとなっています。
(通常の白もんは、成形後に絵付けをするため、表面がなめらかになるよう、丁寧に整えます)
このように、程よい雑味が加わることで、
使い手にとって、より身近なうつわに感じられるような、
温かみのある風合いを目指しました。
かつて海外に輸出されていた美術品のような白もんではなく、
それ以前に作られていたような、素朴な白もんに近いのではと考えています。
「本来の白もんは献上品なので、人の手の気配を消すようにつくる」と、
平嶺さんは言っていました。
ふだん使いの白もんは、逆に、人の手の温もりを感じとってもらえるように
つくられました。
沈壽官窯は基本的に分業制です。ロクロ、絵付け、彫刻などの工程はもちろん、
釉薬掛けや焼成も全て別々の職人さんが担当しています。
多くの職人の皆さんの新たな取り組みのもと、このうつわが出来上がりました。
「ふだん使いの”薩摩の白もん”」を写真でご紹介します。
いずれも、普段の食卓のシーンをイメージして撮影したものです。
「ふだん使いの“薩摩の白もん”」は、鹿児島・薩摩焼の窯元 沈壽官窯と手仕事フォーラムの協同で新たに生まれた、
白もん(白薩摩)による普段使いのうつわです。
白い無地の陶器ですが、独特の乳白色の陶土に透明感のある釉薬をまとい、
上品な輝きを放ちます。
わざわざ「ふだん使い」と謳っているのは、この器の独特な成り立ちにあります。
薩摩の「白もん」のあゆみ
薩摩の焼きものは、安土桃山時代の末期、豊臣秀吉がはじめた
朝鮮出兵(文禄・慶長の役)の退軍に合わせて、
薩摩藩によって現地から連行され、渡来した陶工たちによって始められました。
それまで焼きもの作りの文化が無かった薩摩に、朝鮮の先端技術がもたらされたのでした。
当初は、陶工らと共に朝鮮から持ち込まれた(盗んできた)陶土を用いて、
白い焼き物が焼かれていました。
材料などは全て朝鮮のもので、日本のものは”火だけ”=火ばかりなので
「火計手(ひばかりで)」と呼ばれます。
白い陶器の原料となる土は希少で、国内でも採れる産地は非常に限られますが、
彼らは土を求めて薩摩を渡り歩き、10年以上に渡る探索ののちに土を発見。
生まれた「白もん」は、柔らかい輝きを放つ乳白色でした。
そのうつわは、白磁とも従来の陶器とも異なるものです。
茶の湯に傾倒する各地の大名たちを虜にしたと言います。
薩摩藩は、その希少価値を高めるとともに、藩外への技術流出を防ぐため、
白もんを藩の御用として独占、一般に用いることを認めませんでした。
薩摩焼に転機が訪れたのは、江戸時代の末期です。
1867年に日本が初めて国として参加した、パリで開かれた万国博覧会。
薩摩藩は、このパリ万博に江戸幕府と同等の立場として参加し、
そこで展示した高さ2mもある白もんの大花瓶が脚光を浴びます。
「金爛手」と呼ばれる金の絵付けなど、絢爛豪華な装飾を施した
オブジェや花器などが海外で高い人気を呼び、空前の薩摩焼ブームが到来。
海外では「SATSUMA」という名で呼ばれ、世界各地に運ばれます。
日本では「京薩摩」や「横浜薩摩」と呼ばれる、
薩摩から素地だけを持ち込んで絵付けをする、
輸出向けの白い陶器が登場するほどでした。
この立役者となったのが、朝鮮からの渡来以来、
代々薩摩焼の職人を勤めてきた沈家の十二代で、
細工職人であると同時に、当時の薩摩藩窯の工長だった沈 壽官です。
沈 壽官は、苗代川(現在の美山)に沈壽官窯の前身となる
「玉光山陶器製造場」を設立(1875年)。現代に続く礎を築きます。
以来、沈家の当主は「沈 壽官」の名を襲名するようになりました。
さて、薩摩焼には「白もん」に対して「黒もん」があります。
「黒もん」は、鉄分が多く含まれる土を原料にした陶器で、
赤黒い土肌のごく素朴な焼きものです。
渡来した陶工たちが最初に作りはじめたのは、この黒もんでした。
甕などをはじめとした大物容器から、こね鉢やすり鉢といった調理器具、
碗や皿、酒器などといった食器にいたるまで幅広く、
大衆に用いられる雑器が作られました。
柳宗悦をはじめとした民藝同人たちは、1934年に苗代川を訪れます。
そこには、おそらく創始以来変わらぬ雰囲気のまま作り続けられている
たくさんの黒もんがあり、柳らは歓喜したと言います。
柳は、「苗代川の黒物」として、世に広く紹介しました。
山と積まれる黒物の置場で、昔ながらの名器を選び出す事は、さして難事ではない。
・・・それほど品物には古作品の俤(おもかげ)が残る。
・・・遷り変りが忙しく新古の闘いが激しい現代で、
このようなものに逢えるのは恵みとも思える。
一世紀前に消えていたとて何も不思議ではない。
それが現に、それも盛に作られているのであるから驚くべき現象である。
・・・黒物はどうしても薩摩焼の正系である。(柳宗悦「苗代川の黒物」より)
一方で、元来より「上手もの」として用いられた白もんに対しては、
高級品としてもてはやす風潮を強く否定し、
「苗代川の陶器では吾々は躊躇なく白物より黒物を挙げる」と述べています。
このように白もんは、民藝とは対極にある道を歩んできた焼きものです。
現代においても、沈壽官窯の作品は、薩摩焼が海外に広く展開した当時の流れを汲み、
緻密な細工や雅な絵付けが施された茶道具や置物などが中心。
なかなか、一般に手に届くものではありません。
食器なども作られていますが、どちらかと言えば「普段使い」というより特別な時、
いわゆる「ハレの日」に用いる器という言葉が適当かもしれません。
白もんは、そもそもふだん使いでは無く、
ふだん使いであったこともないのです。
そんな白もんを用いて、「ふだん使い」の器を作ることを沈壽官窯に持ちかけたのが、
手仕事フォーラムの発起人であり、もやい工藝、手しごとを創業した久野恵一でした。
「白もん」の普段使いの器を作る理由
苗代川は、渡来した陶工たちの集落がつくられ、焼きもの作りが行われた土地でした。
(昭和中期頃に「美山」という地名に変わりましたが、今も薩摩焼の窯元があります)
陶工たちは、白もん・黒もんを問わず焼きもの作りに精を出し、
藩は彼らに武士の身分を与え、保護した一方で、
彼らに朝鮮の習俗を守らせ、日本人との結婚の自由を与えませんでした。
柳宗悦らが当地を訪れた時、渡来からすでに300年以上が経っていたものの、
黒もんには、朝鮮から運ばれてきた創始以来の文化の香りが残っていました。
それは、この土地が歩んできた、特異な歴史の遺産そのものと言えるかもしれません。
残念ながら当時の黒もんは、現在では見る影もありません。
時代の流れ、生活環境の変化とともに失われたと言っていいでしょう。
しかし、かつての苗代川の焼きものが持っていた独特の文化が、
完全に失われてはいなかったことを、久野恵一は沈壽官窯の白もんに見出したのでした。
沈壽官窯の展示場には、比較的手頃な値段で買える、
いわゆる”窯もの”と呼ばれる製品が並んでいます。
湯呑やぐいのみから茶碗、皿まで、様々なものがありますが、
久野恵一はそれらの造形に、李朝(朝鮮)の陶器に通じたものがあることを見出しました。
さらに、作品ではなく、数物(同じ規格で多産される製品)を作ることができる
高い技術を持った職人がいることに着目します。
柳らが苗代川を訪れた際には、沈壽官窯にも立ち寄っていますが、
おそらく当時作られていた白もんには、ほとんど興味を持たなかったことでしょう。
しかし、薩摩焼の創始以来、苗代川の地で薩摩焼を守り続けてきた沈壽官窯は、
名実ともに、その文化を現代に繋いでいたということです。
各地で育まれてきた手仕事を、その土地の文化・歴史を生かしつつ
現代の暮らしに寄り添う形にして、未来へ繋いでいく。
久野恵一が45年間に渡って続けてきた、日本の手仕事をつなぐ活動です。
沈壽官窯で作られていた、白もんのうつわ。
これを発展させて、誰もが手にとって日常で使える
”ふだん使い”のうつわを作ることで、薩摩焼をより広く伝えたい、
さらには、日本の陶磁文化の源流とも言える薩摩焼の文化・歴史を
未来に残したいという思いに繋がっていくのです。
続きます→ふだん使いの”薩摩の白もん”のこと(2)
新型コロナウィルスの感染拡大を受け、
運送業者(ゆうパック)の集荷業務が縮小しております。https://www.post.japanpost.jp/notification/productinformation/2020/0415_02.html
これに伴い、当オンラインショップの発送期日についても、
ご決済後「最短1〜2営業日の発送」から「最短1〜3営業日の発送」へと
変更させていただくこととしました。
なお、日時指定につきましては、今まで通りご指定いただけます。
現在、スタッフが不定期に出勤し発送業務を行っておりますが、
状況によっては、上記発送期日からさらに遅れてしまう場合もございます。
何卒ご理解賜りますようお願い申し上げます。
昨今の情勢を踏まえ、実店舗の営業につきましては
当面の間《不定期営業》とさせていただきます。
基本お店をお休みとさせて頂きますが、
スタッフが店舗にて作業している間(不定期です)は
営業しておりますので、お気軽にご入店ください。
お電話の応対はできかねますので、お問い合わせはメールでお願いいたします。
メールアドレス : info@blog.teshigoto.shop
オンラインショップは通常通り営業しております。
商品をますます充実させるべく取り組んでおります。
是非こちらをご利用ください。
今後とも、手しごとをよろしくお願い申し上げます。
手しごと 代表 久野民樹