前編はこちら→ふだん使いの“薩摩の白もん”のこと(1)
「ふだん使いの白もん」を新たに作り、
薩摩焼を人々の暮らしに寄り添う形で
未来へつなごうという久野恵一の思いに、
沈壽官窯当主の十五代沈壽官氏は応じます。
薩摩焼の歴史を背負ってきた沈壽官窯にとっても、
別の形の白もんを生み出すという取り組みは、
大きなチャレンジだったのではと思います。
久野恵一がこれまで各地で取り組んできた、
作り手の製作指導や、新作のプロデュースの経験を元に、
国内外・時代を問わず、様々なうつわを見本として持ち込みました。
沈壽官窯のロクロ職人・平嶺さんは、それらをもとに試作品作りに取り組みました。
例えば、この切立皿。
元々は同じ鹿児島の龍門司焼で作られていた皿が見本になっています。
▲左が「白もん」、右が見本となった龍門司焼の皿
飯碗は、大分の小鹿田焼が見本に。
いずれも突飛なものはなく、日本で長年使われてきた形であり、
毎日の食卓に馴染み、流行り廃りのない、まさに”ふだん使い”です。
また、新しいうつわ作りには、これまで沈壽官窯では用いられなかった
ハンドル(持ち手)作りが新たに導入されました。
沈壽官窯では、型を使って成形されたハンドルを
本体に後付けする手法を用いていましたが、
今回のうつわでは、よく水を含ませて伸ばした陶土を、
ロクロ成形後の本体に直接取り付ける手法(ウェットハンドルと呼ばれ、
バーナード・リーチが西洋の器作りの中で伝えた手法と同じ)を用いています。
この技術を伝えるために、小鹿田焼の陶工が招かれました。
試作品の製作は順調に進みましたが、久野恵一は志半ばで急逝。
残された平嶺さんと、新たに入った私(久野民樹)が
このプロジェクトを引き継ぎました。
今でこそ、このブログのような解説を書いていますが、
当初は二人とも、そもそも久野恵一の意図すらわかっていない中での出発で、
お互い色々議論したり、勉強をしながら。途中寄り道もしつつ。
時間はかかりましたが(十五代からお叱りを受けました笑)、
手仕事フォーラムの皆さんの後押しもあり、ようやく発表となりました。
平嶺さんの発案で、陶土には、沈壽官窯の通常の白もんを作る際に出る
屑土(ロクロ成形後の削りの工程で出る、いわゆる削りかす)を
再利用することになりました。
通常は不純物が混ざるため、全て捨てられます。
(ちなみに、他の陶器の産地では、多くの場合屑土は再利用されます)
さらに、釉薬を調整して、本来の白もんの白色よりも雑味を増して、
ロクロの成形は、通常よりもざっくりとした仕上がりとなっています。
(通常の白もんは、成形後に絵付けをするため、表面がなめらかになるよう、丁寧に整えます)
このように、程よい雑味が加わることで、
使い手にとって、より身近なうつわに感じられるような、
温かみのある風合いを目指しました。
かつて海外に輸出されていた美術品のような白もんではなく、
それ以前に作られていたような、素朴な白もんに近いのではと考えています。
「本来の白もんは献上品なので、人の手の気配を消すようにつくる」と、
平嶺さんは言っていました。
ふだん使いの白もんは、逆に、人の手の温もりを感じとってもらえるように
つくられました。
沈壽官窯は基本的に分業制です。ロクロ、絵付け、彫刻などの工程はもちろん、
釉薬掛けや焼成も全て別々の職人さんが担当しています。
多くの職人の皆さんの新たな取り組みのもと、このうつわが出来上がりました。
「ふだん使いの”薩摩の白もん”」を写真でご紹介します。
いずれも、普段の食卓のシーンをイメージして撮影したものです。
手前から時計回りに:汁碗(ご飯茶碗として使用)、湯呑、浅鉢7寸、飯碗、切立皿、平皿8寸